看取れなかったことを、責めているあなたへ
入院先で。仕事に出ている間に。ほんの少し目を離した、その間に。
「最期の瞬間に、そばにいてあげられなかった」——ペットを見送った方の手記を読んでいると、 この後悔は驚くほど多くの人が書いています。何年も前のことなのに、昨日のことのように書く人もいます。 もしあなたがいま同じ後悔の中にいるなら、まず知ってほしいのは、それを抱えているのはあなた一人ではない、ということです。
後悔は、愛の裏返しでしかない
「あの時病院に泊まり込んでいれば」「もう一日仕事を休んでいれば」。 そう自分を責められるのは、それだけ真剣に、その子の時間を大切にしてきた人だけです。 いい加減に飼っていた人は、最期の数時間を悔やんだりしません。 責める気持ちの強さは、そのまま、注いできた愛情の深さです。
手記の書き手たちが、たどり着く場所
看取れなかった後悔を書いた手記を読み続けていくと、不思議なことに気づきます。 書き手の多くが、時間をかけて、同じ場所にたどり着いているのです。
——最期の数分間ではなく、その前の十何年が、あの子との関係の全てだった。
毎日のごはん。同じ時間の散歩。呼んだら顔を上げる、あの一瞬。 あなたの子が知っているのは、最後の瞬間にあなたがいなかったことではなく、 何千日ものあいだ、あなたがそばにいたことのほうです。
すぐに消える後悔ではないから
こう書いても、今日の後悔が明日消えるわけではないと思います。 消えなくていいのだと思います。後悔も、悲しみも、あの子がたしかにいた証拠だからです。 ただ、自分を責める言葉が浮かんだ夜は、代わりにひとつだけ、 あの子との楽しかった場面をひとつ、思い出してみてください。 後悔と同じ場所に、それよりずっと多くの、いい記憶が眠っているはずです。
このサイトでは、見送った飼い主さんの話を、許可をいただいて書き残していく場所を用意しています。 話すことが整理になることもあります。よければこちらへ。